捨てられないのには訳がある。「捨てる」という概念が存在しなかった過去の私が捨てられるようになるまで。



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賃貸時代のモノだらけの異常な汚部屋画像に唖然

こんにちは。

雨で中止となった長男の幼稚園の運動会は、延期も雨でなくなり、学年ごとの「保育参観」というかたちになるそうです。

長男の通う幼稚園は規模が小さくて敷地も狭く、近くの小学校のグラウンドを借りて運動会を開催します。
小学校側と予定が合わなかったのかな、と勝手に推測してます(^_^;)

運動会前に、ビデオカメラの中のデータをDVDに移す作業をしました。

我が家のビデオカメラは長男が産まれた時に購入したもので、一番古い動画はなんと長男の産まれてすぐのもの。
六年前からの動画がおさめられてました。

ハードディスクからDVDディスクにデータを移しながら新生児の長男をウルウルしながら観ていたのですが、その感動も薄れるほどの衝撃的なものが映っていました。

それは、前に住んでた賃貸住宅の汚部屋っぷり。

汚部屋というか、狭い部屋の四方の壁にモノがうずたかく積まれているんです。
壁の前にモノの壁が築かれている感じです。しかも四方に。

マイホームを買う前の賃貸時代は私自身が「捨てられない」というか、「捨てることを知らない」人間でした。
「断捨離」だとか「ミニマリスト」なんてのは言葉自体も聞いたことさえありませんでした。

モノがぐるりと高く積み上げられている中で積み木をしている長男の姿がいまだに脳裏から離れません…。
なんであの状況を「異常」と思わなかったんでしょうか。

高い引越代金を払い新居に運び込んだのはゴミばかりだった

新居に引っ越してから「断捨離」を知り、賃貸住宅から運び込んだものをほとんど捨てました。
本当にいらないものばかりでした。

新居に引っ越す時に家電や家具類は全部買い替えたので(賃貸時代は家電や家具類は独身時代の単身用のものを使っていました)、引っ越し業者に運んでもらったのは全部大量のゴミだったことになります。
高い引っ越し代金を払って、新居にゴミを持ち込んだわけですよ。

実際、今の家に旧居で使っていたものはほとんどなくて、猫のトイレと衣類、スチールシェルフくらいです。

かつで私も旦那さんも「捨てる」ということを知らない人間でした。
そんな二人が暮らしていたんですから、ああなるのも当たり前ですよね…。

しかも旦那さんはいまだに「捨てることができない」人間。
ゴミをゴミ箱にさえ入れることができません。
いつも机の端に寄せておしまいです。

「捨てる」概念がなかった私の生い立ち

賃貸時代、私はずっと「何で片付かないんだろう」って本気で悩んできました。
「捨てる」という概念がなかったんですよね。
というか、何で「捨てる」ことを知らなかったのでしょう。

そういえば、私の両親や祖父母は明らかにゴミなもの(ホコリとか切った爪とか)しか捨てませんでした。
包装紙はキレイにたたみ、食べ残しは小皿にうつしてラップをし冷蔵庫に。
使用済みのラップも汚れを拭いて再利用してました。
鼻をかんだティッシュも、母はゴミ箱に入れずポケットに入れてました。

思えば、子供の頃から家族がモノを捨てるところをほとんど見たことがなかったのです。

実家は決して貧乏なんかではなく、収入でいえば今のうちよりもずっと良かったと思います。むしろ、祖父も父も母も収入があったので、収入は我が家の2倍以上だったんじゃないでしょうか…。
なのにそんな生活をしていました。

そして、家は物を捨てないにもかかわらずいつもスッキリと片付いていつもキレイでした。

でもそれは、今思えば、実家は東北の田舎の地域だったので、土地も家もものすごく広くて、二階建ての今の我が家より広い倉があり、さらに家に物置部屋が2つもあったからにほかなりません。

「捨てる」ことを知らなかった私でも捨てることができるようになった

かつて「モノを捨てる」という概念のなかった私でも、今はちゃんとモノを捨てることができます。

いや、まだ「ちゃんと」とは言い切れませんでした…。
捨てるかどうかその場でまだ判断できないことが多いし、不用品もたまりがちだし。

でも、「捨てる」という手段を知った今の私は、「捨てる」こと自体を知らなかった四年ほど前の私よりも確実に成長はしてます。
実際にここ四年の間に膨大なモノを捨ててきましたし。

もし、あなたの家族やパートナーがモノを捨てなくて悩んでいたら、私のように「捨てる=片付ける」という概念がないのかもしれません。
そんな人に、いきなり「片付けないのはモノを捨てないからだよ」と言ってもただのカルチャーショックを与えるだけです。
「まだ使えるものを捨てるなんて○○はすごいな」って思われて終わりです。

捨てることを知らなかった私がモノを捨てはじめたきっかけは「願望」と「捨てる」がつながったから

私が約30年間以上培ってきた「捨てない」価値観がひるがえったきっかけは、スバリ「マイホームを理想の素敵な空間にしたい」という願望です。
そこに、流行りの「断捨離」という情報が入ってきたのが捨てることができるようになったきっかけです。

そして、実際に捨てられそうなものを捨ててみると、今まで味わったことのないスッキリ感が!!
で、捨てることが病みつきに…となるわけです。

もし「断捨離」の前に「北欧インテリア」などの買う系情報が入ってきたとしたら、捨てずに増えるだけのカオス状況になっていたと思います。

捨てられない私の魔法の言葉「また買えばいい」

理想の暮らしを手に入れる手段としての「捨てる」ことを知ってまだ4年たらずなので、まだ私にとって捨てることはなかなか難しいです。
また必要になるかも…何かに使えるかも…と思い、使い道がなくて思い入れもないのに捨てられないものがクローゼットを占めてます。

そんな「捨てられない」「損をしたくない」という考えにがんじがらめの私の価値観を突き崩す魔法の言葉は「また買えばいい!」です。
また買えばいいって思うと不思議と手離せるんですよね。

なぜなら、私は買うことが好きだから。
もし捨てたものを買い直すことになっても「捨てる→損をする」から「捨てる→また買いものができる」というふうに考え方を変えることで「楽しみが増える」と思えるからなんじゃないかと思います。

捨てさせたいなら相手の「願望」を刺激しよう

長くなりましたが、結局のところ、捨てられない人が捨てることができるようになるには、なんらかの「メリット」がないとダメだと思います。

私は運良く「念願のマイホームでの理想の暮らし」が「断捨離」と結び付きましたが、捨てることに価値観を見いだせない人に「捨てよ」と言っても苦痛を与えるだけです。

ここはこじつけでも「捨てる」ことと当人の「願望」を結びつけることが肝要です。

「モテる」「お金持ちになる」「幸せになる」「運が良くなる」「結婚できる」「夢がかなう」など…。

今は断捨離とそういった願望を結びつける書籍はいくらでもあります。
信憑性や説得力のある本を選んで通勤や通学の靴の中に丸めて入れておくのも手です。

机にさりげなくポンと置くのではダメです。
不要物に紛れて消息不明になるのがオチですから。


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